滋賀県彦根市肥田町 --城址碑-- |
別名 | |
交通 | JR東海道本線「稲枝駅」から徒歩20分。 |
築城年代 | 1521〜28年(大永年間) |
築城者 | 高野瀬隆重 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 高野瀬秀隆・長谷川秀一 |
1521〜28年(大永年間)観音寺城主六角氏の命を受けた高野瀬城主高野瀬隆重により築かれた。 1559年(永禄2)隆重の子秀隆の時、小谷城主浅井氏に通じた為、六角義賢(承禎)に攻められた。肥田城の守りが堅い事を知った義賢は城の下手一帯に堤を築き、宇曽川や愛知川の水を入れて水攻めを計った。しかし堤防が決壊した為、失敗に終わり、撤退する事となる。「肥田城の水攻め」 1560年(永禄3)8月、義賢は再び肥田城を攻めるが、秀隆から知らせを聞いた浅井長政(賢政)は援軍として出陣し、野良田表で六角方に勝利した。 1569年(永禄12)織田信長に攻められ開城、1574年(天正2)蜂屋頼隆が入城し、1583年(天正11)長谷川秀一が入城している。1594年(文禄3)秀一が文禄の役に従い、朝鮮で病没すると、1596〜1615年(慶長年間)以後廃城となった。 肥田城主菩提寺である崇徳寺付近が城の中心であったようだが、宅地や田園となっている。しかし南西、鹿島神社付近等、所々惣構の土塁や堀の痕跡が確認出来、また北西、宇曽川沿いに水攻めの土塁が一部残されている。 |
惣構土塁 | 惣構土塁・堀跡 | 肥田城主菩提寺である崇徳寺 |