神奈川県秦野市曽屋・南矢名 登山口地図 --権現山(千畳敷)-- |
別名 | |
交通 | 小田急線「秦野駅」から登山口まで徒歩20分。 地図の地点から浅間山経由の登山道があります。 |
築城年代 | 15世紀後半 |
築城者 | 扇谷上杉氏か |
形式 | 山城 |
主な城主 | 扇谷上杉氏 |
東波多野城(仮)に関する文献は見当たらないが、1478年(文明10)扇谷上杉氏の家宰太田道灌が長尾景春の乱に与した大森憲頼を平塚城に攻め、箱根に追った後、扇谷上杉氏は西相模の海側を三浦氏居城の岡崎城により支配した。この時山側を支配する為、この城を築いたと考えられている。 1512年(永正9)北条早雲(伊勢宗瑞)が岡崎城を攻め、三浦氏を新井城に追うと、この城も前後して攻め落とされたと推定される。その後後北条氏時代には戦略的価値を失い、廃城になったと思われる。 秦野駅から北東に見える浅間山〜権現山〜弘法山3峰(郭)が城址とされ、更に南の出丸と思われる城山(梵天山)と併せて連携・機能していたと考えられている。3峰併せて弘法山公園となり、ハイキングコースとして改変されているようで、遺構は明瞭ではないが、主郭と推定される弘法山には「乳の井戸」や土塁の痕跡、また西側に段郭群が確認出来る。権現山は「千畳敷」の名が残り、こちらも段郭群が残されており、弘法山との間の尾根は「馬場」の名もある。しかし「馬場」については江戸時代の遺称ともいわれる。 |
浅間山 | 権現山・弘法山間馬場道 | 弘法山西段郭 |
弘法山・乳の井戸 | 弘法山・土塁の痕跡か | 善波峠(矢倉沢往還) |