日出城

日出城ひじじょう
大分県速見郡日出町
Mapion

--天守台石垣--
別名 暘谷城・青柳城
交通 JR日豊本線「暘谷駅」から徒歩10分。
築城年代 1602年(慶長7)
築城者 木下延俊
形式 平山城
主な城主 木下俊長
1600年(慶長5)関ヶ原合戦の際、豊臣秀吉の甥である木下延俊は東軍に属し、姫路城を守った為、戦後その功により豊後日出3万石を与えられ、この日出城を築いた。元々延俊は徳川家康から35万石の加増を約束されていたが、そのお墨付きを暴徒に奪われた為、姫路城を含む播磨一国は池田輝政に与えられ、延俊は僅か3万石の領主になってしまったとされる。
1601年(慶長6)中津藩主細川忠興の家臣で穴生衆の一員であったと思われる穴生理右衛門の指揮の下に築城が開始され、翌年完成した。延俊の妻は忠興の妹であった為、経済的支援や縄張りについて忠興の配慮が大きかったという。
その後木下氏が明治まで続き、1874年(明治7)城内にあった建物は大分県により競売に付し取り壊されたが、隅櫓は移築現存する。
本丸下の海岸は城下海岸といい、この海中は湧き水が多く、「城下カレイ」の名で知られるマコガレイの生息地となっている。
城址碑 本丸北堀跡 本丸西堀跡
東櫓台跡
1695年(元禄8)3代藩主俊長が
鋳造させた釣鐘
南石垣 城下公園からの眺め

参考文献 「現地案内板」
                        「大分・宮崎・愛媛の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2012年10月