平井城

平井城ひらいじょう
群馬県藤岡市西平井
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--復元された本丸土塁・城址碑--
別名  
交通 JR八高線「群馬藤岡駅」からバス「矢島商店前」下車。
築城年代 1438年(永享10)
築城者 上杉憲実
形式 平城
主な城主 山内上杉氏
約120年続いた関東管領山内上杉氏本城。
築城年代については諸説あるが、1438年(永享10)鎌倉公方足利持氏との間に確執が生じた山内上杉氏8代憲実が鎌倉を退去した時、長尾忠房に命じて築いたとされる。
1467年(応仁1)山内上杉氏11代顕定の時、大規模な拡張が行われ、この頃詰城として平井金山城が築城されたと考えられる。
1545年(天文14)山内上杉氏15代憲政は扇谷上杉朝定・古河公方足利晴氏らと共に北条綱成以下3千が拠る川越城を包囲するが、翌年4月、北条氏康の奇襲に敗れた。
1552年(天文21)武蔵国金鑚御嶽城が北条氏康に攻略されると家臣の離反が相次ぎ、支えきれなくなった憲政は平井城を捨て、長尾景虎(後の上杉謙信)を頼り、越後国へ逃れた。
平井城は後北条氏に占拠され、北条長綱(幻庵)が置かれたが、その後景虎勢に奪還されると長綱は武蔵国松山城に逃れた。
この頃になると平井城は位置的に戦略上重要視されず、1560年(永禄3)景虎は厩橋城に関東の拠点を移し、この時平井城は破却された。
本丸 関東管領上杉氏一族の碑 乳母尊分霊堂
本丸東曲輪 復元された空堀 復元された竪堀
二の丸 二の丸北を通る堀跡 Mapion
三嶋神社
山内上杉顯定が伊豆三嶋社から分祀
平井城の氏神として祀ったと伝わる
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仙蔵寺
仙蔵寺
平井城三石の一つ蝸牛石
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常光寺
山内上杉顕定菩提寺
荒神堀(庚申堀)跡 Mapion
円満寺
山内上杉氏祈願寺
円満寺
山内上杉氏累代墓

参考文献 「戦国の山城 学研」
                    「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 2
2006年9月
2022年1月