川越城

川越城かわごえじょう
埼玉県川越市郭町
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--本丸御殿--
別名 初雁城・霧隠城
交通 西武新宿線「本川越駅」から徒歩20分。
築城年代 1457年(長禄1)
築城者 太田道真・道灌
形式 平城
主な城主 北条綱成・酒井重忠・松平信綱
1457年(長禄1)扇谷上杉持朝に命じられた家臣太田道真・道灌父子が江戸城と共に築城し、約80年間扇谷上杉氏の本拠となった。
1524年(大永4)北条氏綱は江戸城を攻略すると、1537年(天文6)7月15日、三ツ木原合戦で扇谷上杉朝定を破り、松山城へ敗走させ、16日川越城を攻略した。
1545年(天文14)9月、山内上杉憲政・扇谷上杉朝定・古河公方足利晴氏らは連合し、北条綱成以下3千が拠る川越城を約6ヶ月包囲した。これに対し氏康は翌年4月1日、8千の兵を引き連れ援軍に向かい奇襲攻撃により撃破する。扇谷上杉氏は滅亡、古河公方足利氏は古河へ、山内上杉氏は上野へ敗走した。(川越夜戦)
1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原城攻めの際、前田利家に攻められ開城した。同年徳川家康の関東入封後、酒井重忠が1万石で入城し、川越城は江戸城を守る外郭として重要視される。1639年(寛永16)忍城から入封した松平信綱の時、大規模な拡張が行われ、喜多院等の社地は出城として組み込まれ、城下町は整備された。その後も要衝である川越城は親藩、譜代大名が城主を務めた。
本丸御殿 天神曲輪に建つ三芳野神社 三芳野神社境内に残る土塁
北側から見る富士見櫓跡 田曲輪門跡 南大手門跡
中ノ門堀跡 Mapion
喜多院・川越藩主松平大和守家廟所
喜多院周囲に残る空堀

参考文献 「現地案内板」
                    「東京・埼玉の城郭 新人物往来社」
訪城回数 3
2006年4月
2008年3月
2015年6月