大阪府南河内郡河南町平石 --本丸に立つ城址碑-- |
別名 | |
交通 | 近鉄長野線「喜志駅」からバス「阪南ネオポリス」下車。 近つ飛鳥風土記の丘散策路奥から入口があります。 また麓からも登山道があるようです。 |
築城年代 | 南北朝時代 |
築城者 | 平岩茂直 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 平岩茂幸 |
平石城は平安時代以来の名族である平岩氏により築かれた。 1331年(元弘1)4月29日、鎌倉幕府討伐の計画を吉田定房によって六波羅探題に密告され、失敗に終わった後醍醐天皇は、8月27日京都御所を出ると笠置山に潜幸するが、この時後醍醐天皇をこの平石城に迎える計画があったという。 やがて笠置城は落城、後醍醐天皇が捕らえられると、楠木正成は護良親王を奉じて下赤坂城に籠もった。笠置城を攻略した北条方は、平石峠を越え、大和から河内に進入し下赤坂城へ向かうが、平岩茂直はこの城で防戦し、討死した。 1359年(正平14)足利勢が河内に攻め入った際、楠木正儀は17の城を整備し、この平石城も17支城の一つとして修築され、茂直の子茂幸が防戦するが敗れた。 |
西から城址遠望 | 城址北西土橋 | 土橋脇竪堀 |
本丸切岸 | 本丸 | 本丸南堀切 |