下赤坂城

下赤坂城しもあかさかじょう
大阪府南河内郡千早赤阪村森屋
Mapion
城址碑地図

--赤阪中学校裏手に立つ城址碑--
別名 楠木館
交通 近鉄長野線「富田林駅」からバス「赤阪中学校前」下車。
築城年代 1331年(元弘1)
築城者 楠木正成
形式 平山城
主な城主 楠木正成
1331年(元弘1)鎌倉幕府倒幕計画が発覚した後醍醐天皇が笠置山に潜幸すると、楠木正成は笠置山が危機に陥った時、この地に天皇を迎える為、この下赤坂城を築いて挙兵した。同年9月28日、笠置山が陥落すると天皇はこの地を目指したが途中で捕らえられた。その為正成は護良親王を奉じて下赤坂城に籠もるが、10月21日夜、にわか造りの下赤坂城は幕府軍に攻められ落城、正成は護良親王と共に金剛山中に逃れた。
1332年(元弘2)護良親王が吉野山に挙兵すると、正成も再起し、下赤阪城を奪還する。約1年後、下赤坂城は再び幕府軍に攻められ落城するが、上赤坂城、そして千早城の籠城の最中、鎌倉幕府は上野国で挙兵した新田義貞に攻められ滅亡した。
1336年(建武3)湊川合戦後、正儀らが拠った。
赤阪中学校裏手が城址とされ、本丸はここから更に北側、赤阪村役場裏付近にあったとされる。城址碑が立つのみで遺構は見当たらないが、西側には「日本の棚田百選」にも選ばれる棚田の風景が広がっている。
城址(中学校)入口 入口から見る城址 城址

参考文献 「現地案内板」
                    「大阪・兵庫の城郭 新人物往来社」  
訪城回数 1
2013年1月