神奈川県平塚市達上ケ丘 --平塚農業高校西側-- |
別名 | |
交通 | JR東海道本線「平塚駅」から徒歩20分。 |
築城年代 | 室町時代中頃 |
築城者 | 大森伊豆守か |
形式 | 平城 |
主な城主 | 大森伊豆守 |
一説に鎌倉時代、三浦三郎為高の館が前身とされるが明らかではない。 1416年(応永23年)上杉禅秀の乱で足利持氏を助けた功により、相模川以西の地は大森頼明(顕)が治めるようになるとこの地に城塞が設けられたと考えられる。1440年(永享12)結城合戦の際、大森氏頼は大森伊豆守を平塚に駐屯させると、今川範忠の兵2千が平塚に向けられたという記録が残されている。その後1476年(文明8)長尾景春の乱が起こると、1478年(文明10)「平塚城」は太田道灌に攻められ1日で落城したとされ、大森伊豆守は箱根へ逃れたというが、武蔵国平塚城との混同も考えられる。 その後の平塚城の歴史は不明だが、後北条氏時代には山城である高麗寺山城が重視され、廃城になっていたものと推定される。 城域についてははっきりしないが、平塚農業高校・大久保公園・八雲神社一帯が城址とされ、明治時代中頃まで空堀が残されていたというが、現在遺構は見当たらない。 |