鳥取県米子市久米町 --北から城址遠望-- |
別名 | 米子古城・采女丸 |
交通 | 各線「米子駅」から徒歩20分。 飯山南西、9号線沿いに案内板・入口があります。 |
築城年代 | 1467〜87年(応仁〜文明年間) |
築城者 | 山名宗之 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 野一色采女 |
1467〜87年(応仁〜文明年間)出雲国京極持清に備える為、伯耆国守護山名教之の配下山名宗之により米子城は築かれたと伝えられるが、これは現在米子城が築かれている湊山ではなく、この飯山であったと考えられる。 1600年(慶長5)関ヶ原合戦の功により、中村一忠が伯耆国18万石に封ぜられ、米子城に入城すると、飯山には三の丸が置かれ、野一色采女が居城したので采女丸とも呼ばれた。 1603年(慶長8)幼主一忠の補佐役であった家老横田内膳が他の一忠家臣に妬まれて暗殺されると、その子主馬之助は父の無念を晴らす為、一族と共に飯山に立て籠もった。この時横田方であった柳生但馬守宗矩の兄である剣豪柳生五郎右衛門宗章は十文字槍をしごき、中村方を多数討ち取ったが討死している。「米子城騒動」 現在山頂には英霊塔や東屋が立っている。案内板によると石垣が残るようだが、藪になっており、また道も無い為確認出来なかった。 |
城址入口 | 山頂へ続く階段 | 山頂 |