怡土城

怡土城いとじょう
福岡県糸島市高来寺・高祖
Mapion
登山口地図

--第5望楼跡--
別名 怡土城(いとのき)
交通 JR筑肥線「周船寺駅」からバス「高来寺」下車。
地図の地点、高来寺バス停付近に登山口・案内があります。
築城年代 756年(天平勝宝8)
築城者 孝謙(称徳)天皇
形式 中国式山城
主な城主     
756年(天平勝宝8)当時大宰大弐で後に右大臣となる吉備真備の担当により着工される。764年(天平宝子8)真備が奈良東大寺造営の長官として転任すると、後任として佐伯宿祢今毛人が着任し、768年(神護景雲2)完成した。築城理由については新羅征討が論じられた際、その一環として築かれた説と755年(天平勝宝7)唐で勃発した安禄山の乱に備える為に築かれた説があり、防人も動員されている事から急を要する事業であった事が伺える。
高祖山山頂から山麓にかけて「たすき」を掛けるように土塁が設けられている事が怡土城の最大の特徴で、遣唐使として中国に渡り、様々な技術を学んだ真備の発案によるものと考えられている。従って天智天皇時代、百済遺臣の指導により築かれた大野城基肄城等の朝鮮式山城に対し、中国式山城と呼ばれる。
築城後、怡土城がどのように利用され、廃城に至ったかは不明だが、平安時代頃まで維持されていたと考えられる。その後1249年(建長1)原田種継が怡土城址を利用して高祖城を築き、代々居城とした。
北西尾根上に5ヶ所、南西尾根上に1ヶ所の望楼跡があり、それぞれ礎石が残されている。また山麓には南北2キロに渡り、土塁が設けられており、前面には堀が在ったとされる。
第5望楼跡近くにある首塚
元寇の蒙古兵を供養した塚
第5望楼跡礎石 第4望楼跡
第3望楼跡 第3・2望楼跡間尾根(土塁線) 第2望楼跡
第1望楼跡 第1望楼跡碑 Mapion
西麓に残る土塁

参考文献  「福岡県の城郭 銀山書房」
                   「福岡・熊本・鹿児島の城郭 新人物往来社」 
訪城回数 1
2019年12月