大野城

大野城おおのじょう
福岡県太宰府市太宰府
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尾花地区地図

--百間石垣--
別名       
交通 西鉄天神大牟田線「都府楼前駅」から岩屋城経由で60分以上。
築城年代 665年(天智天皇4)
築城者 天智天皇
形式 朝鮮式山城
主な城主        
660年(斉明天皇6)百済が唐・新羅連合軍に敗れ、滅亡すると、百済遺臣らは友好国である倭国に救援を求める。倭国は百済再興の為、援軍を送るが、663年(天智天皇2)唐・新羅連合軍に白村江の戦いで敗れた。
西からの唐・新羅侵攻の脅威にさらされた倭国は防衛体制の整備を行い、海に近い那津にあった官衙を大宰府の地に移すと、664年(天智天皇3)対馬・壱岐・筑紫に沿岸防備の防人と烽を置き、また大宰府防衛として水城を築いた。
次いで665年(天智天皇4)長門城・基肄城・大野城、667年(天智天皇6)高安城屋嶋城金田城を築いて備えるが、大陸からの侵攻は無く、次第にその必要性は薄れていったと考えられる。
大野山(四王寺山)ほぼ全域に築かれており、遺構は広範に散在する。今回は岩屋城から20分程登った「尾花地区」のみの散策だったが、大野城で最も大規模とされる大宰府口城門等、遺構が良く残されていた。徒歩では大変だが、尾花地区から北へ車道を降りていくと百間石垣も見られる。
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大宰府口城門
大宰府口城門石垣 大宰府口城門礎石
大宰府口城門石垣 尾花地区土塁 焼米ヶ原
焼米ヶ原に展示される復元土塁 Mapion
百間石垣
南から大野山(四王寺山)遠望

参考文献 「現地案内板」
                         「福岡・熊本・鹿児島の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2013年1月