岩出山城

岩出山城いわでやまじょう
宮城県大崎市岩出山城山
Mapion

--伊達政宗像--
別名 岩出沢城
交通 JR陸羽東線「有備館駅」から徒歩15分。
築城年代 1394〜1428年(応永年間)
築城者 氏家氏
形式 山城
主な城主 伊達政宗
1394〜1428年(応永年間)大崎氏家臣の氏家弾正により築かれたとされ、一説に1349年(貞和5)奥州探題斯波家兼(後の大崎氏)の監司として下向した氏家詮継の築城ともいわれるが、定かではない。以後代々氏家氏居城となり、当時は岩出沢城と呼ばれていた。
1590年(天正18)豊臣秀吉による奥州仕置によって小田原攻めに参陣しなかった大崎義隆が領地を没収されると、氏家氏も滅び、岩出沢城には旧大崎領を与えられた木村吉清の家臣荻田三右衛門が城代として入城した。しかし吉清の暴政に不満を持った氏家氏旧臣や農民達は三右衛門を斬殺し、一時的に岩出沢城は占拠され、この事がきっかけとなり葛西・大崎一揆が勃発した。
1591年(天正19)一揆を鎮圧した伊達政宗は秀吉の奥州再仕置により、米沢城から岩出沢城へ移ると、名を岩出山と改めた。この時岩出山城は一揆再発に備え、徳川家康により修築されていたといわれる。
1602年(慶長7)政宗が仙台城へ移ると、岩出山城には政宗4男宗泰が入城し、約1万4千石の岩出山伊達家は10代で明治を迎えた。

●有備館
1677年(延宝5)頃、2代宗敏の隠居所として建てられた事に始まるといわれ、その後家臣子弟の学問所となった。
南曲輪 本丸下竪堀に架かる橋 本丸
本丸に立つ標柱 本丸北側 内門跡
内門跡土塁 北曲輪 北曲輪土塁
空堀 北麓を流れる用水堀(内川) 北麓に建つ有備館

参考文献 「現地案内板」
                        「山形・宮城・福島の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2014年9月