山形県米沢市丸の内1丁目 --本丸・上杉神社-- |
別名 | 松岬城・松ヶ崎城・舞鶴城 |
交通 | 各線「米沢駅」から徒歩30分。 |
築城年代 | 1238年(暦仁1)か |
築城者 | 大江(長井)時広 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 直江兼続 |
1238年(暦仁1)置賜郡長井荘の地頭職に補任された大江(長井)時広により築城されたと伝えられるが判然としない。大江氏は以後8代約150年間にわたり置賜地方を治めるが、1380年(天授6)伊達氏に攻め滅ぼされた。 伊達氏は伊達・信夫地方を本拠としていたが、1548年(天文17)15代晴宗の時、それまでの居城であった桑折西山城からこの米沢城に移った。 1567年(永禄10)には政宗が誕生、蘆名氏等を破り伊達氏は戦国大名として大きく飛躍し、黒川城に本拠を移すが、その後米沢に再び戻る。そして1591年(天正19)豊臣秀吉の奥州再仕置により岩出山城に移され、米沢を去った。 政宗に替わって米沢には、会津若松城主となった蒲生氏郷の家臣蒲生郷安が3万5千石を与えられ入部するが、1598年(慶長3)会津120万石に上杉景勝が入ると、米沢城にはその重臣直江兼続が入城した。 1601年(慶長6)関ヶ原合戦で西軍方についた景勝は、米沢30万石に減封されて米沢城に入城、城下は整備された。以後、1664年(寛文4)跡継ぎを巡り米沢藩は15万石となるが、米沢城は約270年間にわたり、上杉氏13代の居城として明治維新を迎える。 |
本丸東水堀 | 本丸南東・上杉謙信公祠堂(御堂)跡 | 伊達政宗誕生地標柱 |
上杉謙信像 | 本丸北水堀 | 本丸南虎口・菱門橋 |
本丸南水堀 | 本丸南側堀 縄張図には無く、後年のものか? |
直江兼続屋敷跡 |