鹿児島県姶良市平松 登山口地図 --南曲輪・土塁に残る石積み-- |
別名 | |
交通 | JR日豊線「重富駅」から登山口まで徒歩30分。 麓に建つ岩剣神社前を通る道路を地図の地点まで登ると登山 口があります。 |
築城年代 | 1529年(享禄2)頃 |
築城者 | 蒲生氏又は祁答院氏か |
形式 | 山城 |
主な城主 | 島津義弘 |
岩剣城の創建については明らかでないが、1529年(享禄2)頃、蒲生城を本拠とする西大隅最大の国人蒲生氏方により築かれたとされ、1532〜55年(天文年間)には蒲生氏と結ぶ国人祁答院良重が拠っていた。 1550年(天文19)薩摩地方を統一した島津氏15代貴久は内城を築いて移ると、北薩・大隅攻略に乗り出すが、島津氏と蒲生氏との対立は深まるようになる。1554年(天文23)蒲生範清ら反島津連合軍は、島津方であった肝付兼盛が拠る加治木城を攻めた。貴久は岩剣城を攻める事で加治木城の囲みを解こうと考え、10月2日早朝に総攻撃を開始し、攻め落とした。 島津氏にとって大隅制圧の足掛かりとなる重要な戦いであり、また日本で初めて鉄砲が使用された合戦としても知られる。 戦後、岩剣城には初陣を飾った島津義弘が入城するが、余りにも険阻であった事から麓に平松城を築いて移った。 登山道を登ると山頂と南曲輪間の尾根に至り、南曲輪には土塁や石積み、堀が良く残されている。麓の岩剣神社に案内板が設置されている。 |
岩剣城登山口 | 南曲輪 | 南曲輪土塁 |
南曲輪堀切 | 山頂は三段の曲輪が 築かれている |
山頂からの眺め |