鹿児島県鹿児島市大竜町 --大龍寺址碑-- |
別名 | 御内・水上城・大龍寺城 |
交通 | JR鹿児島本線「鹿児島駅」から徒歩10分。 |
築城年代 | 1550年(天文19) |
築城者 | 島津貴久 |
形式 | 平城(館) |
主な城主 | 島津義久 |
島津氏14代勝久の頃、領国は混乱しており、勝久は伊作島津家忠良を頼り、忠良の子貴久に家督を譲った。貴久は家督継承に反対する薩州島津家実久を敗り、薩摩を統一すると、1550年(天文19)内城を築いて一宇治城から移った。以後1602年(慶長7)鶴丸城へ移るまで、この内城が島津宗家の新たな居城となり、三州(薩摩・大隈・日向)統一、九州制覇へ乗り出していく。 鶴丸城移転後は廃城となり、城址には瑞雲山大龍寺が建立された。この大龍寺の寺号は、貴久・義久のそれぞれの号、「大中」・「龍伯」に因んで付けられた。開祖である南浦文之和尚は、義久・義弘・家久3代に仕えた政治顧問としても有名で、琉球政策等にも手腕を発揮し、「黒衣の外交官」ともいわれたという。 大龍寺が建立された際、まだ外囲いや武家屋敷の配置等、内城の名残はあったというが、元々内城は城郭的性格の乏しいものであったとされ、現在は大龍小学校敷地となり、遺構は全く残されていない。 道を挟んで西側には天璋院篤姫生誕の地でもある今和泉島津家本邸跡がある。 |