寿能城

寿能城じゅのうじょう
埼玉県さいたま市大宮区寿能町2
Mapion
城址碑地図

--寿能公園・潮田資忠墓碑--
別名   
交通 東武野田線「大宮公園駅」から徒歩15分。
地図の地点、交番脇に碑があり、そこから東に入った
寿能公園に墓碑があります。
築城年代 1560年(永禄3)
築城者 潮田資忠
形式 平城
主な城主 潮田資忠
1560年(永禄3)大宮・浦和・木崎領を与えられた岩槻城主太田資正の4男潮田出羽守資忠により築かれた。
1564年(永禄7)国府台合戦後、後北条氏の勢力がこの地方に及ぶと、岩槻城主資正の留守中に長子氏資は後北条氏に従い、その際寿能城主資忠もそれに従った。
1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原城攻めの際、資忠は長男資勝と共に岩槻城主氏房に従って37騎を率い小田原に籠城し、4月18日小田原城外郭四ツ門蓮沼で一族郎党共に討死した。この寿能城は家老北沢氏らが守っていたが豊臣勢に攻められ落城した。
寿能城の出丸所在地については2説あり、市営大宮球場一帯「埼玉の古城址 有峰書店新社」又は本丸東南の寿能2-450付近「中世北武蔵の城 岩田書院」といわれている。

参考文献  「日本城郭全集 人物往来社」
           「東京・埼玉の城郭 新人物往来社」
         「埼玉の古城址 有峰書店新社」
           「続・埼玉の城址30選 埼玉新聞社」
訪城回数 1
2008年6月