愛媛県北宇和郡松野町松丸 --西第十曲輪-- |
別名 | 皮籠森城・向後森城 |
交通 | JR予土線「松丸駅」から登山口まで徒歩10分。 松野西小グラウンド東下(永昌寺の裏側)に城址碑・登山口が あります。 |
築城年代 | 1196年(建久7) |
築城者 | 渡辺連 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 河原渕教忠 |
築城年代について明らかではないが、1196年(建久7)渡辺綱から6代目渡辺連なる人物が河後森城に入城したとされる。 戦国時代末期の城主は河原渕教忠であった。教忠は一条氏の出身で、渡辺政忠の養子として迎えられたと伝わる。1575年(天正3)渡川合戦に敗れた一条氏が土佐を追われると、長宗我部氏と争うようになるが、その後教忠は家臣芝氏の下克上により城を追われた。 芝氏は長宗我部氏の支配下に置かれながら、西園寺氏とも通じ家名の存続を保ったが、1585年(天正13)豊臣秀吉の四国征伐により、宇和郡は小早川氏、戸田氏、藤堂氏、富田氏の所領となる。そして1614年(慶長19)伊達秀宗が10万石を領して宇和島城に入城すると、河後森城には付家老桑折氏が居城したが、間も無く一国一令により廃城になったと推定される。 河後森城は愛媛県下最大級の山城として知られるが、遺構は良く残り、非常に整備されて見学しやすい。松丸駅内にはパンフレットや史料も充実している。 |
居館跡とされる永昌寺 | 城址碑 | 風呂ヶ谷に残る井戸 |
西第十曲輪 | 西第十曲輪下堀切・竪堀 | 西第十曲輪虎口に復元された門 |
西第三曲輪堀切 | 本丸下、階段状に削り出された道 | 本丸虎口石垣 |
本丸土橋 | 本丸 | 本丸からの眺め |
東第四曲輪から古城方面 | 古城堀切 | 新城二重堀切 |