兵庫県加古川市加古川町本町 --称名寺-- |
別名 | 糟屋館 |
交通 | JR山陽本線(JR神戸線)「加古川駅」から徒歩15分。 |
築城年代 | 鎌倉時代か |
築城者 | 糟谷有数 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 糟屋武則 |
称名寺一帯が城址。 1184年(寿永3)平氏討伐にその功を認められた糟谷有季は、源頼朝から印南郡南条郷を与えられ、有数が初代城主となった。 1577年(天正5)10月、播磨に入った羽柴秀吉は加古川城(糟屋の館)で毛利討伐の軍議を開いており、この軍議の席が別所氏離反のきっかけとなり、翌年から三木合戦が行われる。この合戦で別所氏に従った糟屋朝正は討死したが、弟で12代加古川城主武則は秀吉方として行動しており、その後小姓頭となって、1583年(天正11)賤ヶ岳合戦では七本槍として武名を挙げた。 |