角館城

角館城かくのだてじょう
秋田県仙北市角館町古城山
Mapion

--入口に立つ城址碑--
別名 古城山城・小松山城
交通 各線「角館駅」から登山口まで徒歩30分。
南麓、46号線沿いに城址入口があります。
築城年代 南北朝時代
築城者 菅氏か
形式 平山城
主な城主 戸沢盛安
築城年代について諸説あるが、14世紀菅氏により築かれたと考えられる。
1423年(応永30)菅(角館)利邦の時、門屋城主戸沢家盛に攻め落とされると、戸沢氏が角館城主となる。
以後戸沢氏は急速に勢力を伸ばし、1582年(天正10)盛安の時、楢岡城主小笠原氏と共に安東実季を破り、1586年(天正14)には小野寺氏領沼館を攻略する等、安東(秋田)氏・小野寺氏に並ぶ大名に成長した。
盛安の武名は近隣に及ぶが、1590年(天正18)豊臣秀吉の小田原攻めに参陣した際、陣中で病死した。その跡を弟光盛が継ぐが、1592年(文禄1)光盛も文禄の役に参陣した際、陣中で没した為、僅か8才の政盛が継ぐ。
1601年(慶長6)政盛は上杉景勝領の東禅寺城攻めで活躍すると、翌年徳川家康より常陸国松岡城に転封を命ぜられ、角館を去った。
代わって角館城には、久保田城に入封した佐竹義宣の弟芦名盛重(義勝)が入城するが、1620年(元和6)幕命により角館城は破却された。
現在城址は古城山公園として整備されている。土塁や空堀等、特に目立った遺構は見当たらず、平場が残るだけだが、南麓には武家屋敷群があり、芦名氏が整備した城下町の面影が残されている。
武家屋敷通り 石黒家屋敷 南から古城山遠望
南麓に建つ七色稲荷神社 本丸 本丸に立つ戸沢氏供養塔
本丸下曲輪跡を見下ろす 本丸下曲輪跡 南方の眺め

参考文献 「青森・岩手・秋田の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2013年9月