亀山城

亀山城かめやまじょう
三重県亀山市本丸町
Mapion

--城址碑--
別名 粉蝶城
交通 各線「亀山駅」から徒歩15分。
築城年代 1590年(天正18)
築城者 岡本宗憲(良勝)
形式 平山城
主な城主 本多俊次
1590年(天正18)亀山に入部した岡本宗憲が、亀山古城が手狭で荒廃していた為、新たにこの新城を築き直した事に始まり、本丸には三層の天守が建てられた。
1600年(慶長5)宗憲は関ヶ原合戦で西軍に属した為、代わって三宅康貞、続いて関一政、松平忠明、三宅康貞の子康信が入城した。
1632年(寛永9)三宅康信の子康盛が城主の時、幕府は堀尾忠晴に丹波亀山城の修築を命じるが、忠晴はこの亀山城と間違え、康盛に天守の解体と石垣の修築を命じた。忠晴が間違いに気づいた時には既に天守は除かれ、その後再建はされなかった。一説に幕府が1万石の城に天守閣は不釣合いであった為、行き違いを理由に壊させたともされる。
1636年(寛永13)本多俊次が入城すると、旧天守台に天守閣の代用として多聞櫓が建てられ、県下で唯一原位置で残る城郭建物として現存している。
その後も城主は目まぐるしく変わり、1744年(延享1)備中松山城から石川総慶が入城すると、以後石川氏が明治まで続いた。
修復中の多聞櫓・旧天守台
2012年10月現在
二の丸・御殿跡
亀山市役所・小学校敷地となる
埋門跡
二の丸帯曲輪石積み 二の丸帯曲輪に復元された土塀
普通は狭間があるが、古写真には
見られなかった事から狭間の無い
土塀にしたという
北水堀

参考文献 「現地案内板」
                         「三重・奈良・和歌山の城郭 新人物往来社」   
訪城回数 1
2012年10月