神屋宗湛屋敷

神屋宗湛屋敷かみやそうたんやしき
福岡県福岡市博多区奈良屋町
Mapion

--豊国神社に立つ屋敷跡碑--
別名  
交通 福岡市地下鉄箱崎線「呉服町駅」から徒歩5分。
築城年代     
築城者 神屋宗湛
形式 屋敷
主な城主 神屋宗湛
島井宗室・大賀宗九と並び「博多の三傑」と呼ばれる豪商・茶人、神屋宗湛屋敷跡。神屋氏2代主計は周防国大内氏の明勘合貿易船の船頭として活躍、3代寿禎は石見銀山の開発等、神屋家は初代永富から資本を築きあげていた。
1582年(天正10)親族関係にある島井宗室と共に上洛、織田信長に謁見し、本能寺の変の前夜、本能寺で行われた茶会に出席し、そのまま本能寺に宿泊して変に遭遇するが、宗室と脱出したと伝えられる。
1586年(天正14)豊臣秀吉に謁見し、知遇を得ると特権商人として巨富を得る。翌年九州征伐後、秀吉は朝鮮出兵の兵站基地として戦乱で荒廃した博多を復興するが、宗湛は宗室と共に町割り、市政の再興に尽くした。また秀吉に厚遇された宗湛はこの地に広大な屋敷地と町役免除の特権を与えられ、その恩に報いる為、早くから邸内に秀吉の霊を祀り、これを基に後年、現在の豊国神社が整備される事となる。
1592年(文禄1)以来の朝鮮出兵に際し、博多津を中心とする軍事輸送や兵站補給を行い、秀吉の側近として活躍するが、1598年(慶長3)秀吉没後、精彩を失い、徳川家康からは冷遇され、1600年(慶長5)関ヶ原合戦後豊前国中津城主黒田長政が筑前52万石を与えられて入部すると黒田藩の御用商人として処遇されるに至った。
現在屋敷跡は博多小・豊国神社敷地となり、豊国神社前に石碑・案内板が立つ。
豊国神社 案内板

参考文献 「戦国人名事典 新人物往来社」
訪城回数 1
2019年11月