金刺大祝館

金刺大祝館かなさしおおほうりやかた
長野県諏訪郡下諏訪町上久保
Mapion

--下諏訪中学校--
別名 神殿
交通 JR中央本線「下諏訪駅」から徒歩10分。
築城年代 鎌倉時代か
築城者 金刺氏
形式
主な城主 金刺氏
霞城跡である山王台西側一帯には神殿の地名が残り、諏訪大社下社大祝金刺氏館跡と考えられる。
欽明天皇の金刺宮に奉仕した金刺舎人を祖とし、科野国造後裔である金刺氏は6世紀中頃、諏訪下社祭祀権を得て自ら大祝となり、武居祝・祢宜太夫・権祝・擬祝・副祝の五官を置いて祭祀を司った。
中先代の乱・桔梗ヶ原合戦・大塔合戦等を経て、金刺氏は諏訪大社上社大祝を務めていた諏訪氏と対立するようになるが、概ね金刺氏の劣勢であり、衰退の一途を辿る。
1518年(永正15)金刺昌春が籠城する萩倉の要害は諏訪頼満に攻められ自落、昌春は武田信虎を頼り、甲州へ逃れるが、内乱に巻き込まれて討死し、金刺氏は没落した。以後下社大祝は武居祝より立てられる事となる。
現在下諏訪中学校敷地となっており遺構は見当たらないが、西に上馬場の地名が残されている。

参考文献 「信濃の山城と館 戎光祥出版」
          「長野・山梨の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2019年3月