山吹大城

山吹大城やまぶきおおじょう
長野県諏訪郡下諏訪町東町上
Mapion

--二の丸北堀切--
別名 隠れ城
交通 JR中央本線「下諏訪駅」から徒歩40分。
築城年代
築城者 金刺氏
形式 山城
主な城主 金刺氏
築城年代は不明だが、霞城桜城を本城とする諏訪大社下社大祝である金刺氏により詰城として築かれたと考えられる。
中先代の乱・桔梗ヶ原合戦・大塔合戦等を経て、金刺氏は諏訪大社上社大祝を務めていた諏訪氏と対立するようになるが、概ね金刺氏の劣勢であり、衰退の一途を辿る。1518年(永正15)金刺昌春が籠城する「萩倉の要害」は諏訪頼満に攻められ自落、昌春は武田信虎を頼り、甲州へ逃れるが、内乱に巻き込まれて討死し、金刺氏は没落した。この「萩倉の要害」が山吹城と考えられているが、上の城という説もある。
金刺氏滅亡後、下社大祝は武居祝より立てられるが、1590年(天正18)豊臣秀吉から諏訪一帯を与えられた日根野高吉が入部するまで続いたものと考えられる。
土塁が全周する本丸は一部石積みが見られ、北側に城内で一番広い面積を持つ二の丸がある。この主要部から延びる支尾根にそれぞれ曲輪が配置され、斜面には帯曲輪が設けられている。また大城から山吹沢を挟んで南300メートルには前衛の砦として小城が築かれている。
二の丸下馬出 北曲輪 二の丸
本丸堀跡 本丸 本丸土塁
西曲輪 東曲輪 東から城址遠望

参考文献 「信濃の山城と館 戎光祥出版」
          「長野・山梨の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2019年3月