岩手県胆沢郡金ケ崎町西根仮屋 --東館跡-- |
別名 | 金ヶ崎館・胡桃館 |
交通 | JR東北本線「金ヶ崎駅」から徒歩15分。 |
築城年代 | 1596〜1615年(慶長年間)初期か |
築城者 | 桑折景頼か |
形式 | 平城 |
主な城主 | 大町定頼 |
金ヶ崎城の起源について明らかではないが、802年(延暦21)坂上田村麻呂が蝦夷討伐の際に築いたと伝わり、前九年の役では安倍貞任の叔父金為行が居城、その後貞任の女(むすめ)白絲前が住んだといわれる。 中世には新渡戸氏の西根城、南部氏と九戸氏の胆沢攻略の舞台となった和賀川崎城等といわれる。しかしこれらが金ヶ崎城と同一地であるかどうか不明な点も多く、議論されている。 1591年(天正19)この地方は伊達政宗が領する所となり、1602年(慶長7)桑折左衛門景頼が岩谷堂城からこの地に移封になったと伝えられる。 1614年(慶長19)伊達秀宗が伊予国宇和島藩主になって移る際、景頼も後見役として従い金ヶ崎城を去った。そして翌1615年(元和1)一関城主留守宗利が入るが、1629年(寛永6)水沢城へ移ると、その後13年程空城になったという。 1644年(寛永21)伊達氏一族である大町定頼が東山藤沢(藤沢城)から2千石で移封され、明治まで大町氏9代が続いた。 堀であった二の丸付近を流れる金堀沢水系や本丸(城内集会所付近)に土塁や空堀が残されている。また南側の城下町は武家屋敷や古い町並みを見る事が出来る。 |
城址北西・金ヶ崎神社 | 金堀沢 | 二の丸西側を流れる金堀沢 |
二の丸 | 東館堀跡 | 観音館付近から見る北上川 |