岩手県奥州市水沢区大手町1丁目 --三の丸跡に建つ奥州市役所-- |
別名 | 水沢要害 |
交通 | JR東北本線「水沢駅」から徒歩20分。 |
築城年代 | 室町時代後半か |
築城者 | 佐々木氏 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 留守宗利 |
築城年代は不明だが、1408年(応永15)将軍足利義持の元禁衛士佐々木将監繁綱が母の縁故で葛西氏を頼って下向し、水沢城に住したといわれる。また繁綱の弟宗綱も幕命により北方奉行人として斯波郡に居住したと伝えられている。 その後佐々木氏は葛西氏に従い活躍するが、1590年(天正18)葛西氏は豊臣秀吉による小田原征伐に参陣しなかった為に改易となり、佐々木氏も共に没落した。 1591年(天正19)水沢城は上杉景勝により修築され、伊達政宗が受け取ると、家臣白石氏の居城となる。 1601年(慶長6)白石氏は岩崎一揆を起こした責任を問われ、登米の寺池に移封となった。翌1602年(慶長7)伊達政宗は桑折左衛門景頼を岩谷堂城から金ヶ崎城に移し、水沢の地を統治させた。 1629年(寛永6)留守宗利が金ヶ崎城から水沢城へ移ると、明治まで約230年間留守氏が続いた。 本丸・二の丸は住宅街となり、三の丸には奥州市役所が建つ。市役所前に案内板があり、ここに僅かに土塁が残されており、そのすぐ裏側に城内にあったという冠木門が立つ。 |
大手通り 三の丸堀跡 |
僅かに残る土塁上に立つ案内板 |