河尻古戦場

河尻古戦場
兵庫県尼崎市大物町2丁目

1185年(文治1)11月
源義経×太田頼基・多田行綱
Mapion

大物主神社 義経・弁慶隠家跡碑
交通 各線「大物駅」から徒歩5分。
1185年(元暦2)3月、平家滅亡後、源義経は兄源頼朝と対立し、同年10月、頼朝配下である土佐坊昌俊に堀川館を襲撃された。義経は後白河法皇に願い「頼朝追討の院宣」を得ると、兵を募ったが、京での義経の人気は急落し、情勢は変化していた。
同年11月3日、一旦九州へ逃れる事とし、京を退去した義経一行は西国街道を進むが、河尻(神崎川河口)で摂津国太田城主太田頼基や多田行綱らに襲撃され、これを撃退した。海路九州へ向かう為、大物浦に停泊中、暴風に遭遇し、船団の大半が転覆、義経の乗船はからくも住吉浜に打ち上げられるが、従者は逃げ去り、伊豆有綱・堀景光・弁慶・静御前の主従僅か5人となった。
義経一行は吉野山を経て奥羽に逃れるが、衣川で藤原泰衡に攻められ自刃した。
大物主神社境内に神社東側に在ったという七軒長屋に義経一行が逗留したという口伝から義経・弁慶隠家跡碑が立つ。

参考文献  「現地案内板」
               「河尻の戦い Wikipedia」
2015年8月