大阪府茨木市太田1丁目 案内板・城址碑地図 --城址碑-- |
別名 | |
交通 | JR東海道本線「摂津富田駅」から徒歩30分。 |
築城年代 | 平安時代末期 |
築城者 | 太田頼基 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 太田頼基 |
平安時代末期、太田太郎頼基により築かれたといわれるが、安威城と同じく、古代よりこの太田の地は開けた地で、中臣藍連と同族である中臣太田連の名もみえる事から、太田城の起源は更に遡るものとも考えられている。 「平家物語巻十二」によると多田源氏の一族である頼基は源義経と近くの川原条(安威川と西国街道が交差する太田橋のすぐ西側)で合戦したとある。平家滅亡後、兄源頼朝と対立した義経は、1185年(文治1)11月3日、九州へ向かう為、西国街道を進んでいた。この時義経の軍勢を見た頼基は「我が門の前を通しながら、矢ひとつ射かけてあるべきか」といい、襲撃するも敗れたという。また「玉葉」には河尻の地で合戦したとある。 1527年(大永7)細川高国と細川晴元との合戦の最中、安威城や茨木城等の周辺諸城と共に、太田城も晴元方柳本弾正によって開城させられたといい、この記録を最後に太田城は史上から姿を消してしまう。 一帯は宅地化されており、明確な遺構は見当たらない。 |