上総介広常屋敷

上総介広常屋敷かずさのすけひろつねやしき
神奈川県鎌倉市十二所
Mapion
三郎の滝地図

-朝比奈切通入口にある三郎の滝-
別名          
交通 JR横須賀線「鎌倉駅」から徒歩50分。
築城年代 平安時代末期
築城者 上総介広常
形式 屋敷
主な城主 上総介広常
千葉氏の流れを汲み、代々上総国を領した上総権介常澄の子広常屋敷跡。
1180年(治承4)伊豆に挙兵した源頼朝が石橋山合戦に敗れ、海路、安房国へ逃れると、広常は又従兄弟である千葉常胤と共に迎え、頼朝の鎌倉入りに活躍した。
しかし広常は尊大な所があったとされ、やがて頼朝に謀反を疑われる。内命を受けた梶原景時はこの屋敷で広常から酒のもてなしを受け、双六に興じていた時、ふいに襲い掛かって首を取ったという。しかし「吾妻鏡」によると、景時が広常を討ったのは大倉御所の侍所とされ、広常の子能常が自害したとされている事から、実際には広常の屋敷に討手が差し向けられたとも考えられる。
朝比奈切通入口にある三郎の滝(朝比奈の滝)の上、「屋敷田」と呼ばれる所が屋敷跡とされるが、現在は果樹園となっている。また付近には景時が広常を討った太刀を洗ったという梶原太刀洗水がある。

参考文献   「新編 鎌倉事典 文芸社」
             「武家の古都 鎌倉を歩く 祥伝社」
訪城回数 1
2016年1月