東京都渋谷区神宮前5丁目 --遺跡西側-- |
別名 | |
交通 | 各線「渋谷駅」から徒歩10分。 |
築城年代 | |
築城者 | |
形式 | 平城 |
主な城主 |
渋谷青山通郵便局・国連大学本部ビルの北西隣は江戸時代、山城国淀藩下屋敷が置かれた場所だが、発掘調査によりそれ以前、一辺98メートル、東側に開口部を持つ単郭方形の溝跡が検出されている。そして建物跡等が見つからない事から一時的な陣所や兵站地と考えられている。 記録や伝承等は全く残らないが、江戸と相模を結ぶ大山道と伝鎌倉街道が交差する地点に近い事、またこの地域の歴史的背景から1454年(享徳3)鎌倉公方5代足利成氏と幕府方、山内・扇谷両上杉氏が争った享徳の乱時に利用された、あるいは1524年(大永4)後北条氏と江戸城主扇谷上杉氏が争った際、南方500メートルに位置する渋谷城が後北条氏の一軍に焼き払われたといわれる事から、この頃のものとも推定出来る。 |