新潟県糸魚川市一の宮 --清崎神社・堀跡-- |
別名 | 糸魚川城 |
交通 | JR北陸本線「糸魚川駅」から徒歩15分。 |
築城年代 | 江戸時代 |
築城者 | 堀秀治 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 堀清重 |
1598年(慶長3)上杉景勝の会津120万石転封に伴い、越前から45万石で春日山城に入城した堀秀治は、同6年上杉遺民一揆により荒廃した根知城を廃城とし、この地に清崎城を築城、一族の堀清重を城主としたとされる。 1610年(慶長15)堀氏に代わって松平忠輝が福島城に入城すると、清崎城には忠輝重臣の松平信宗、続いてその子信直が在城した。 1618年(元和4)高田城主松平忠昌家臣の稲葉正成が入城し、その後荻田氏が城代となるが、1681年(天和1)越後騒動により萩田氏は流罪となり、清崎城は廃された。 またこの清崎城と同一地かは不明だが、1583年(天正11)上杉景勝が築いたという「糸魚川城」の存在が確認出来、御館の乱の際、功績のあった荻田孫十郎長繁が糸魚川城主になったとの記録が残されている。 糸魚川市役所一帯が城址とされ、東側に建つ清崎神社手前に堀跡と思われる池が残り、天津神社との間にも堀跡らしい地形が確認出来る。 |