小泉城

小泉城こいずみじょう
群馬県邑楽郡大泉町城之内2丁目
Mapion

--本丸北内堀--
別名 富岡城
交通 東武小泉線「小泉町駅」から徒歩5分。
築城年代 1489年(延徳1)
築城者 富岡直光
形式 平城
主な城主 富岡氏
1441年(嘉吉1)結城合戦に敗れ、父結城持朝を失った持光は甘楽郡富岡に隠れ、富岡主税介直光と改めた。その後足利成氏が鎌倉公方となると邑楽郡に所領を与えられ、1489年(延徳1)小泉城を築いたとされ、以後6代富岡氏居城として続いた。
当初富岡氏は館林城主赤井氏と共に古河公方に属していたが、1562年(永禄5)上杉謙信による館林城攻めの際、5代富岡秀高(小山重朝)は上杉方として参陣し、以後1573年(天正1)まで上杉氏に従った。
1573年(天正1)4月、小泉城は後北条氏に従う武蔵国深谷城主上杉憲盛に攻められるが、秀高は撃退し、深谷勢多数を討ち取った。しかし間も無く秀高も後北条氏方に転じ、小泉城は後北条氏の北関東における兵站基地として改修された。
1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めの際、6代富岡秀長は小田原城に拠り、小泉城は富岡大学ら一族が留守居を務めたが、豊臣勢に攻められ、別所で自害したと伝わる。
本丸・二の丸・三の丸から成る囲郭式平城。現在は城之内公園として整備され、本丸周囲の内堀・土塁、二の丸北西部の外堀が良く残されている。
二の丸北外堀 二の丸 二の丸北土塁
二の丸西土塁 本丸東虎口 本丸東土塁
本丸 本丸南内堀 三の丸

参考文献 「群馬県の中世城館跡 群馬県教育委員会」
      「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2021年10月