埼玉県深谷市本住町 --深谷城址公園-- |
別名 | 木瓜城 |
交通 | JR高崎線「深谷駅」から徒歩15分。 |
築城年代 | 1456年(康正2) |
築城者 | 上杉房憲 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 深谷上杉氏・長沢松平氏 |
1456年(康正2)庁鼻和城主上杉房憲が古河公方足利氏に備える為に築いたと伝えられ、以後憲清・憲賢・憲盛・氏憲5代の居城となった。 1573年(天正1)憲盛の時、後北条氏と和睦すると、翌年深谷城は上杉謙信に攻められ戦火に遭っている。 1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めの際、氏憲は小田原城に詰めており、城主不在の深谷城は秋元長朝が守っていたが、前田利家軍に攻められ開城した。 その後徳川家康が関東に入国すると、三河国長沢から松平康直が1万石で入城するが、1593年(文禄2)跡継ぎの無いまま病没した為、家康7男松千代が養子に入り、跡を継いだ。しかし1599年(慶長4)その松千代が僅か6歳で没すると、家康6男辰千代(後の松平忠輝)が跡を継いだ。 1602年(慶長7)忠輝が下総国佐倉城へ移ると松平忠重が入城し、1622年(元和8)忠重が上野佐貫へ移ると、酒井忠勝が代わって入城した。そして1626年(寛永3)忠勝が忍城へ移った後、深谷城は廃城となった。 現在城址の一部は深谷城址公園として整備されている。一帯は市街地化され、遺構の多くは消滅しているが、東側に建つ富士浅間神社境内に外堀跡が僅かに残されている。 |
城址に建つ市民文化会館 | 富士浅間神社 | 外堀跡標柱 |
外堀跡 | 富士浅間神社社殿 | 外堀跡 |