虚空蔵山城

虚空蔵山城こくぞうさんじょう
長野県上田市上塩尻
Mapion

--鳥小屋城から城址遠望--
別名 御殿城
交通 和合城から2時間強。他に複数ルートがあるようです。
築城年代 1542年(天文11)頃
築城者 村上氏
形式 山城
主な城主 島津忠直
1542年(天文11)頃、葛尾城主村上氏が甲斐武田氏の侵攻に備えて築城したものと考えられ、1554年(天文23)武田氏の手に落ち、1563年(永禄6)2月、武田方多田三八が在城した史料もみられる。
1583年(天正11)真田昌幸が徳川家康の支援を受け、上田城の築城を開始すると、上杉景勝はこれを妨害・監視する為、川中島四郡の将兵を虚空蔵山に集め、島津左京亮を検使とした。昌幸は虚空蔵山城を攻めたが、駒沢主税助の奮戦により攻略出来なかったという。この2年後昌幸は家康と手を切り、景勝と結んでいる。
戦国時代の文書に虚空蔵山や虚空蔵の名はあるが、虚空蔵山城の名は見られず、虚空蔵山城と呼ばれる地は上田市塩尻付近から和合城までを含んでいたと考えられる。
西側堀切 北側郭跡 主郭
虚空蔵山山頂 山頂から上田市街方面
中央付近が上田城
山頂から西方面
中央付近が上田原

参考文献 「長野・山梨の城郭 新人物往来社」
      「上田市誌 上田市誌編纂委員会」
訪城回数 1
2008年3月