許斐岳城

許斐岳城このみだけじょう
福岡県宗像市王丸
Mapion
登山口地図

--本丸北堀切--
別名 許斐要害・許斐城
交通 JR鹿児島本線「東福間駅」から登山口まで徒歩25分。
地図の地点、西麓から登山道があります。
他にも複数ルートがあるようです。
築城年代 1126〜31年(大治年間)
築城者 宗像氏平
形式 山城
主な城主 許斐氏・宗像氏貞
1126〜31年(大治年間)宗像大宮司15代氏平により築かれたとされ、後に宗像氏一族の許斐氏居城となり、また宗像氏本城である白山城の支城として続く。
1559年(永禄2)立花山城主に在った宗像氏一門と思われる宗像鎮氏が大友氏の支援を受けて侵攻してくると当主宗像氏貞は宗像を捨て、大島へ逃れた。この時許斐岳城も鎮氏の手に落ちたが、翌年氏貞は毛利元就の支援を受け、許斐岳城を夜襲して鎮氏を討ち、旧領を回復した。1561年(永禄4)5月1日、大友義統を将とした十河・矢野氏ら大友勢に攻められたが、城主許斐氏鏡・氏則父子らは撃退している。その後も宗像郡の中央に位置する許斐岳城は重要視され、氏貞が新たな拠点として改修を始めた蔦ヶ岳城に移るまで実質的な本城であったとも考えられる。
1587年(天正15)豊臣秀吉による九州征伐後、宗像氏の支配は終わり、廃城になったとされるが、新たに入部した小早川氏により改修された可能性も考えられている。
南曲輪群横堀 金魚池 南曲輪
本丸・南曲輪間堀切 本丸北曲輪 本丸北竪堀
本丸 本丸に立つ標柱 尾立山北切通(堀切)
尾立山 尾立山竪堀 尾立山東尾根堀切

参考文献  「福岡県の城郭 銀山書房」
                  「福岡・熊本・鹿児島の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2019年12月