大阪府茨木市郡山1丁目 --城址碑・案内板-- |
別名 | 郡山砦 |
交通 | JR東海道本線「茨木駅」から徒歩30分。 |
築城年代 | 1558〜1570年(永禄年間) |
築城者 | 郡(高利)正信 |
形式 | 丘城 |
主な城主 | 郡(高利)正信 |
1558〜1570年(永禄年間)高槻城主和田惟政の家臣郡(高利)正信により築かれたとされ、近郷7ヶ村を支配していたといわれる。 1571年(元亀2)白井河原合戦の際、和田勢500余騎、池田勢は2500余騎で多勢に無勢であった。そこで郡氏は敵陣に行き、「主君が急に将軍に呼ばれ、京へ赴いている為、帰りを待ってから戦闘を始めたい」と申し入れ、戦列を整えようと時間稼ぎを試みる。しかしその計略が見破られた為、郡氏は惟政に退却を進言するが聞き入れられず、やむなく名馬「金屋黒」にまたがり戦ったが、奮戦むなしく討死したという。 現在城址は浪速少年院敷地となっている。案内板下に置かれている石は、石垣に使用されたものと考えられており、三ツ鱗・三ツ星が刻まれている。また西にある茨木郡山住宅B9棟付近には、「城の内」・「門口」等の地名が残されている。 |