大阪府高槻市城内町 --高山右近像-- |
別名 | 久米路山龍ヶ城 |
交通 | 阪急京都線「高槻市駅」から徒歩10分。 |
築城年代 | 10世紀末 |
築城者 | 近藤忠範 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 高山右近 |
高槻城は10世紀末、近藤忠範が久米路山と呼ばれる小丘に館を構えた事に始まると伝えられ、南北朝時代に入り、足利尊氏によって入江氏が駿河から入り、近藤氏を継いだといわれている。 1569年(永禄12)三好氏と共に織田信長と争い敗れた入江春継に代わり、和田惟政が城主となったが、1571年(元亀2)白井河原合戦で惟政は討死し、1573年(元亀4)惟政の跡を継いだ惟長は、高山飛騨守・右近父子に滅ぼされた。 高山氏は切支丹信者で、城内に天主教会堂を建てる等布教に努め、1581年(天正9)には宣教師や巡察師を迎えて復活祭を催している。 1585年(天正13)右近が船下城に移封されると、高槻城は豊臣氏直轄となり、1600年(慶長5)関ヶ原合戦以後は徳川氏の直轄となった。 1615年(元和1)大坂夏の陣後、内藤・土岐・岡部氏等の譜代大名が城主となり、1649年(慶安2)永井直清が3万6千石で入城し、明治まで13代約230年永井氏が続いた。 |
永井神社・唐門 1848年(嘉永1)11代永井直輝が初代 直清の高槻城入城200年を記念して 造立した。 |
二の丸付近 | 天主教会堂跡碑 |
城址碑 | 高山右近像 | 本行寺・高麗門 |