興国寺城

興国寺城こうこくじじょう
静岡県沼津市根古屋
Mapion

--本丸背後大堀切--
別名 杜若城・久窪城・深田山城・高国寺城
交通 JR東海道本線「原駅」から徒歩30分。
築城年代 室町時代末期
築城者 伊勢宗瑞(北条早雲・伊勢新九郎盛時)か
形式 平山城
主な城主 伊勢宗瑞(北条早雲・伊勢新九郎盛時)・天野康景
築城年代は明らかではなく、記録上は1487年(長享1)小鹿範満を破った伊勢宗瑞(北条早雲・伊勢新九郎盛時)が今川氏親を駿府館へ迎え入れた後、この興国寺城に移り、伊豆地方への侵攻の拠点とした事が初見となる。
1491年(延徳3)4月3日、堀越御所足利政知が57歳で病没すると、その子茶々丸は継母・義弟の他重臣を討ち、御所は内乱状態となった。興国寺城に在った伊勢宗瑞はこの機に乗じ堀越御所を攻め、茶々丸を討つと、韮山城を築いて移った。
その後も興国寺城は戦略的価値から今川氏・後北条氏・武田氏の間で攻防が繰り広げられ、1590年(天正18)駿府城主中村一氏の家臣河毛重次が入城、その後天野康景が入城したが、1607年(慶長12)改易となった為、興国寺城は廃城となった。
二の丸から本丸方面 二の丸から南側の眺め 本丸東側・水堀(池)跡
本丸に立つ北条早雲碑 本丸東土塁 天守台下石垣
天守台礎石 西櫓台 西櫓台から見る本丸
本丸背後大堀切 北曲輪空堀 北曲輪の北側を通る新幹線

参考文献 「現地案内板」
                        「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 2
2006年5月
2009年4月