静岡県伊豆の国市四日町 --堀越御所跡-- |
別名 | 堀越公方館 |
交通 | 伊豆箱根鉄道駿豆線「韮山駅」から徒歩15分。 |
築城年代 | 1458年(長禄2) |
築城者 | 足利政知 |
形式 | 館城 |
主な城主 | 足利政知・茶々丸 |
室町幕府8代将軍足利義政の頃、関東では反幕府勢力が増大していた。 1455年(享徳4)5代鎌倉公方足利成氏と関東管領上杉憲忠との対立に始まる享徳の乱が起こり、成氏は将軍の命を受けた駿河国今川範忠に鎌倉を追われると、下総国古河へ移り、古河公方と称した。 1458年(長禄2)義政の弟政知は下総国古河に拠る成氏に対抗する為、鎌倉公方として下向するが、鎌倉は荒廃し、また反勢力の抵抗に遭った事から、止む無くこの地に居を構え、機を伺う事とした。 政知には子に茶々丸がいたが、後妻の子との世継ぎ問題で内紛が絶えず、1491年(延徳3)4月3日、政知が57歳で病没すると、茶々丸は継母・義弟・重臣を討ち、御所は内乱状態となる。この機に乗じて興国寺城に在った伊勢宗瑞(北条早雲・伊勢新九郎盛時)は茶々丸を攻め滅ぼし、僅か2代33年にして堀越公方は滅亡した。 |