長崎県長崎市木鉢町1丁目 --南から遠望-- |
別名 | |
交通 | JR長崎本線「長崎駅」からバス「女神」下車。 |
築城年代 | 1653年(承応2) |
築城者 | 平戸藩 |
形式 | 台場 |
主な城主 | 長崎天領 |
1635年(寛永10)より始まる鎖国令後、唯一の窓口である長崎港警備の為、複数の台場が設けられた。1641年(寛永18)港口の戸町及び対岸の西泊の両所に番所が設置されると、次いで1653年(承応2)白崎・女神(大村領)・高鉾・陰の尾・長刀岩(佐賀領)・大多越・神崎(長崎領)の7ヶ所に台場が設けられた。「古台場・在来御台場」 1808年(文化5)フェートン号事件後、警備不足を痛感した幕府は佐賀藩に命じて神崎・女神・高鉾・陰の尾に台場を増設させる共に沙崩に新設させた。「新台場・新規御台場」 更に1809年(文化6)浦上岩瀬道・稲佐・高浜・野母・樺島各地に台場を新設する。 次いで1810年(文化7)福岡藩に命じて神崎・高鉾・長刀岩の更なる増設と魚見岳台場の新設をさせた。「増台場」 1853年(嘉永6)佐賀藩に命じて神ノ島(5ヶ所)・伊王島(4ヶ所)にも台場を設置している。「佐賀台場」 このように幕末の長崎港内外は要塞化されていた。 神崎台場は1653年(承応2)平戸藩(藩主松浦鎮信)により構築された古台場の一つで、1808年(文化5)・1810年(文化7)に増設された。山頂に建つ神崎神社付近から中腹にかけて新台場・増台場が築かれていたとされる。始めに設けられた古台場は神崎鼻突端に近い海辺にあったが、貯油タンクが設けられており、遺構は失われているという。 |