栃木県下野市下古山 --本丸南内堀-- |
別名 | |
交通 | JR東北本線「石橋駅」から徒歩25分。 |
築城年代 | 1334〜38年(建武年間) |
築城者 | 児山朝定 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 児山氏 |
1334〜38年(建武年間)宇都宮城主宇都宮頼綱の4男である多功城主多功宗朝の2男(または3男)朝定がこの地を分封されて児山氏を称し、築城したとされる。戦国時代には多功城・上三川城と共に宇都宮氏の南方の支城として重きをなしたものと考えられる。 1558年(永禄1)上杉謙信が多功城を攻めた際、城主児山兼朝は上杉方に属した佐野豊綱勢と戦い、討死し、以後児山城は廃城になったという。 本丸は南北約80メートル、東西約60メートルの長方形状で四方を土塁・内堀に囲まれ、更にその東・南に外堀が残されている。城域は宅地や耕地化により判然としないが、本丸を中心として周囲にも断片的に遺構が確認出来、また西城・中城・北城・馬場等の地名が残る事から南北1キロ、東西500メートルに及ぶと推定され、築城当時は単郭式であったが、その後複郭化して規模を拡大したものと考えられている。本丸南東に建つ華蔵寺は1283年(弘安6)初代城主児山朝定創建といわれ、境内に児山氏供養塔が立つ。 |
本丸南外堀 | 本丸南東隅櫓台跡・内堀 | 本丸南土橋 |
本丸 | 本丸南土塁 | 本丸西内堀 |
本丸南西隅土橋 | 本丸南内堀 | 本丸南外堀 |
南から本丸方面 | 華蔵寺 | 華蔵寺・児山氏供養塔 |