滋賀県甲賀市土山町鮎河 --主郭石段-- |
別名 | 黒川城 |
交通 | 各線「貴生川駅」からバス「鮎河口」下車。 城址北、うぐい川沿いに案内板・入口があります。 |
築城年代 | 1558〜70年(永禄年間) |
築城者 | 黒川玄蕃佐 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 黒川氏 |
「甲賀郡志」によると1558〜70年(永禄年間)黒川玄蕃佐により築かれたとされる。 黒川氏は代々観音寺城主六角氏に従って活躍し、1573年(元亀4)織田信長に抗戦する六角義賢(承禎)の為、家臣辻和泉を甲斐国武田氏の元へ派遣して援軍を要請しており、義賢の2男義定を甲斐国へ下らせている。 六角氏没落後、黒川氏は信長、次いで羽柴秀吉に従い、1585年(天正13)紀州雑賀攻めの際、秀吉の怒りを買い、他の甲賀武士と共に改易されるが、後に黒川のみを領する事を許された。その後黒川氏は徳川氏に従い、旗本として存続した。 野洲川とうぐい川が合流する地点、比高約80メートル程の山上に築かれている。山頂の土塁に囲まれた方形の主郭を中心とし、急崖になる東を除く三方の尾根上にそれぞれ曲輪を配し、空堀や土塁で守りを固めている。また他の甲賀の城と違い、随所に石垣が用いられており、1584年(天正12)小牧・長久手合戦の際、秀吉により改修された可能性が考えられている。 |
大手 | 前田屋敷跡 | 辻屋敷跡 |
辻屋敷跡土塁 | 辻屋敷跡石積み | 北郭 |
北郭横堀 | 北西郭虎口 | 北西郭虎口石積み |
北西郭 | 主郭西下横堀 | 内側から見る主郭石段 |
主郭西虎口 | 主郭 | 主郭南土塁 |
主郭東土塁 | 主郭北虎口石積み | 主郭南堀切 |