久留島陣屋

久留島陣屋くるしまじんや
大分県玖珠郡玖珠町森
Mapion

--御殿跡に立つ童話碑--
別名 森陣屋
交通 JR久大本線「豊後森駅」から徒歩40分。
築城年代 1837年(天保8)
築城者 久留島通嘉
形式 陣屋
主な城主 久留島氏
1597年(慶長2)朝鮮の役で討死した父通総の跡を継いだ伊予国鹿島城主来島康親(長親)は、1600年(慶長5)関ヶ原合戦の際、西軍に属したが、戦後義父福島正則や本多正信の取り成しにより改易は免れ、伊予国の替地として豊後森に1万4千石を与えられた。城を持つ事を許されなかった康親は角牟礼城の山麓に居館や城下町の建設を行い、2代通春の時に完成、この時来島の姓を久留島と改めた。
1824年(文政7)から1837年(天保8)にかけて、8代通嘉は三島神社(後の末広神社)を改築するという名目で居館を城郭風に改修している。そして最後の森藩主12代通靖の時、明治を迎えた。通靖の長男通寛の子は童話作家久留島武彦である。
現在陣屋跡は三島公園となり、御殿跡に巨大な童話碑が立つ。また「藩主御殿庭園」・「栖鳳楼庭園」・「清水御門前庭」の3つから構成される久留島庭園が造られており、御殿跡裏手に建つ末広神社周囲には城郭風の石垣が残されている。
庭園跡 玉濃井 桜の馬場

参考文献 「現地案内板」
           「戦国の山城 学研」
                        「大分・宮崎・愛媛の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2015年7月