久宝寺寺内町

久宝寺寺内町きゅうほうじじないまち
大阪府八尾市久宝寺4丁目
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顕証寺地図

--南口付近・土塁・堀跡--
別名       
交通 JR関西本線「久宝寺駅」から徒歩10分。
築城年代 1541年(天文10)頃
築城者       
形式 環濠寺内町
主な城主    
1470年(文明2)本願寺8世蓮如上人はこの地に布教した際、「帰する者市の如し」といわれる程に帰依する人が多かった為、西証寺を建立した。その後近江大津顕証寺の住持を招き、寺号は改められ、近松顕証寺と号した。これが久宝寺御坊で、1541年(天文10)頃、この御坊を中心として久宝寺寺内町が形成された。寺内町周囲には二重の水堀と土塁が巡らされ、出入り口は東部に東口・今口、北部に北口、西部に古口・西口、南に南口の6つがあり、そこには木戸門と門番所、辻地蔵が置かれていた。
寺内町一画に「城土居(シロンド)」と呼ばれる区域があり、ここには河内守護畠山氏が築城し、後にその麾下渋川満貞が再築した久宝寺城があり、これに拠って渋川郡一帯を支配した。渋川氏は後に安井氏を名乗り、1467〜69年(応仁年間)からこの地に土着し、勢威を振るった。寺内町建設の際、この安井氏の協力を得たものと思われる。
1615年(慶長20)大坂夏の陣、八尾・若江合戦では、浮き足立った長宗我部勢が久宝寺寺内町の堀と木戸門で徳川方を食い止めようとするが破られ、敗走している。
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長宗我部盛親・物見の松跡碑
久宝寺今口門があり、東口と共に
八尾に通じる道筋であった。
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許麻地蔵尊
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久宝寺城・城土居(シロンド)

参考文献 「現地案内板」
              「歴史群像シリーズ 学研」
                    「大阪・兵庫の城郭 新人物往来社」  
訪城回数 1
2009年5月