神奈川県川崎市川崎区砂子1丁目 --宗三寺-- |
別名 | 川崎塁 |
交通 | 京急本線「京急川崎駅」から徒歩1分。 |
築城年代 | 戦国時代 |
築城者 | 間宮豊前守信盛 |
形式 | 平地構 |
主な城主 | 間宮氏 |
間宮氏は古くから伊豆馬宮を本貫地とする在地小豪族と考えられ、北条早雲の伊豆入国後、早雲東進に加担したといわれる。1510年(永正7)権現山合戦の際、権現山城に籠もった武士の中に間宮氏の名がみえ、相模衆14家筆頭として相模進出の最前線を任された。 両上杉氏に備える為、間宮信盛はこの地に館を築くが、次第に上杉氏が勢力を失い、北関東に退くと、代わって房総の里見氏の水軍がしばしば金沢や磯子に上陸するようになる。信盛の子信元は笹下に移り、これに備えた。 「新編武蔵国風土記稿」に「川崎塁跡、宗三寺境内の辺なりと云」とあるが、現在遺構は何も残されていない。 |