神奈川県横浜市神奈川区幸ヶ谷 -城址から青木城址(本覚寺)遠望- |
別名 | |
交通 | 各線「横浜駅」から徒歩15分。 |
築城年代 | 室町時代末期 |
築城者 | 上田政盛(蔵人) |
形式 | 山城 |
主な城主 | 上田政盛(蔵人) |
築城者・年代については不明だが、1352年(観応3)新田義宗・義興らに攻められ、鎌倉を追われた足利尊氏が立て籠もったという「狩野川の城」が権現山城に比定される。 1510年(永正7)伊勢宗瑞(北条早雲・伊勢新九郎盛時)は越後守護代長尾為景や長尾景春と結び、山内・扇谷両上杉氏に叛旗を翻すと、権現山城主で扇谷上杉氏家臣上田政盛を味方にし、後詰として住吉要害(山下長者屋敷か)・高麗寺山城に立て籠もった。同年7月11日、権現山城は山内・扇谷上杉氏連合軍2万に攻められ、29日裏山の出城(青木城)が落とされると、政盛は城に火を放って脱したという。 1521〜28年(大永年間)後北条氏により本覚寺を中心として拡充され、青木城と呼ばれるようになった。 1860年(万延1)神奈川台場築造の為、城址は土取り場として切り崩され、現在は幸ヶ谷公園となっており遺構は見当たらない。 |