笹下城

笹下城ささげじょう
神奈川県横浜市港南区笹下4丁目
Mapion

--成就院前・空堀跡--
別名 間宮豊前守陣屋・佐々木城
交通 JR根岸線「洋光台駅」から徒歩15分。
築城年代 室町時代末期
築城者 間宮信元
形式 谷津構館、山城の複合城郭
主な城主 間宮康俊
成就院付近の高台を中心として築かれた間宮氏居城。
間宮氏は古くから伊豆馬宮を本貫地とする在地小豪族と考えられ、北条早雲の伊豆入国後、早雲東進に加担したといわれる。1510年(永正7)権現山合戦の際、権現山城に籠もった武士の中に間宮氏の名がみえ、相模衆14家筆頭として相模進出の最前線を任された。
両上杉氏に備える為、間宮信盛は川崎堀之内に館を築くが、次第に上杉氏が勢力を失い、北関東に退くと、代わって房総の里見氏の水軍がしばしば金沢や磯子に上陸するようになる。信盛の子信元は笹下に移り、この笹下城、そして杉田陣屋・森陣屋・氷取沢陣屋、更に中登台に松本城を築き、兵力を巡らせこれに備えた。
1590年(天正18)後北条氏は滅亡するが、山中城での康俊以下間宮一族の戦いぶりに、徳川家康は笹下に残っていた間宮氏の中から多くの者を家臣として取り立てた。
後にその一族からは間宮林蔵や杉田玄白を輩出する事になる。
成就院裏手の本丸を中心とする一帯が城址だが、ほとんどが宅地化されている。
成就院 右手が本丸 東福寺
北見掃部中興
北見掃部屋敷跡
笹下中央公園
城址北側からの眺め
正面が松本城(中登台)
北側を通る環状線

参考文献 「現地案内版」
                     「千葉・神奈川の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2009年12月