群馬県高崎市下室田町 --堀切-- |
別名 | |
交通 | 各線「高崎駅」からバス「下室田小学校前」下車。 バス停から徒歩5分。 |
築城年代 | 1582年(天正10) |
築城者 | 上田信善 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 上田氏 |
1582年(天正10)神流川合戦後、西上州に進出した後北条氏は真田氏攻略の為、武蔵国松山城主上田安礫斎信義の嫡男である上野介信善に命じて築城させ、松山城の名もこれに因む。 1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めの際、上杉・前田連合軍の前に降伏開城している。 後北条氏滅亡後、立足城から中島氏が入り、1615年(元和1)井伊直勝が安中藩主に任じられると室田村代官となり、麓の居館跡は代官屋敷として機能した。安中藩主二代井伊直好はこの屋敷で誕生し、3歳まで養育されたという。 比高40メートル、尾根突端に築かれた山城。山頂は金毘羅神社が建つ本丸と堀切を挟み、東下に二の丸が築かれ、斜面にはいくつかの曲輪が設けられているが、墓地造成や公園化により改変されている個所も多いようである。南麓に位置する「堀之内」は居館跡で近年まで土塁が残されていたが、現在はかろうじて南東部の段差が往時の地形が分かる状態で残るのみとなっている。 |
城址標柱・案内板 | 本丸南帯曲輪 | 二の丸 |
本丸・二の丸間堀切 | 本丸に建つ金毘羅神社 | 二の丸東曲輪 |
竪堀 | 居館跡(堀之内) | 居館跡から城址遠望 |