茨城県水戸市三の丸2丁目 --三の丸に建つ弘道館-- |
別名 | 馬場城 |
交通 | 各線「水戸駅」から徒歩10分。 |
築城年代 | |
築城者 | 大掾(馬場)資幹 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 徳川頼房 |
1193年(建久4)源頼朝からこの地を賜った地頭馬場資幹は大掾に任ぜられると、下の丸辺りに居館を構え、以後9代240年間大掾馬場氏が続いた。 その後河和田城主であった江戸道房が、大掾満幹の留守中に水戸城を占拠し、それ以来165年間江戸氏が支配した。 1590年(天正18))豊臣秀吉により水戸城の支配を認められた太田城主佐竹義宣は水戸城に攻め寄せ、小田原攻めに参陣しなかった江戸重通を結城に追った。義宣は太田城からこの地に本拠を移し、1592年(文禄1)から1602年(慶長7)にかけて水戸城を改修した。 1602年(慶長7)7月、義宣が徳川家康により出羽国秋田に転封を命じられると、家康5男武田信吉が入城するが、翌年死去すると、代わって10男徳川頼宣が20万石で入城した。 1609年(慶長14)家康11男頼房が入封すると、水戸城は御三家の水戸徳川家の居城として大改修され、明治に至るまで水戸徳川家が領した。 ●大日本史編纂之地 1657年(明暦3)2代藩主徳川光圀は大日本史の編集を始め、後にその編集所を彰考館と名付けた。当初は江戸小石川藩邸内に置いたがその後水戸城内に移され、現在の第二中敷地がそれに当たる |
三の丸に建つ弘道館 | 三の丸空堀 | 大手門跡 |
大手門跡土塁 | 大日本史編纂之地碑 | 二の丸 水戸第三高・第二中敷地となる |
坂下門跡 | 本丸・二の丸間空堀 JR水郡線が通る |
本丸・薬医門 旧水戸城の現存する唯一の建造物 |