三山城

三山城みつやまじょう
宮崎県小林市真方
Mapion

--南から遠望--
別名 宇賀城
交通 JR吉都線「小林駅」から徒歩20分。
築城年代 1394〜1428年(応永年間)
築城者 北原氏
形式 平山城
主な城主 米良筑後守・平良彦十郎
古くから真幸院を領していた北原氏居城。
北原又太郎兼守は伊東義祐と結び、義祐の女を妻としていたが、1561年(永禄4)兼守がこの城で病死すると、伊東義祐は三山城を奪い、米良筑後守を城主に置くと、真幸院東半分を接収した。
1567年(永禄10)10月、飯野城を出陣した島津義弘に攻められ、城内の牛馬2百頭が焼き殺され、堀が死体で埋まる程の激戦となったが、義弘が手傷を負い、また須木からの援軍もあった為、島津勢は退却した。
1572年(元亀3)5月4日、木崎原で伊東氏が島津氏に敗れると、翌年三山城は島津氏の支配下に入り、川上四郎兵衛忠兄が城主となった。
西側は崖となる Mapion
木崎原戦死者墓所・伊東塚

参考文献 「現地案内板」
                        「大分・宮崎・愛媛の城郭 新人物往来社」  
訪城回数 1
2008年1月