静岡県静岡市駿河区用宗城山町 --堀切-- |
別名 | 用宗城 |
交通 | JR東海道本線「用宗駅」から徒歩20分。 用宗駅北東線路沿いにある浅間神社脇に城址へ向かう 農道があります。 |
築城年代 | 1532〜55年(天文年間) |
築城者 | 一宮元実 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 向井正重・朝比奈氏秀(信置) |
1532〜55年(天文年間)今川氏に仕え、用宗郷を知行した一宮元実居城とされ、1560年(永禄3)桶狭間合戦で討死した一宮出羽守宗是は父にあたると考えられる。 1568年(永禄11)武田信玄の第一次駿河侵攻により、今川氏真が駿府から追われると、武田方に属し、駿河先方衆である三浦義鏡が在番した。その後水軍の将向井正重が入城すると、水軍の拠点として、また日本坂方面から駿府に通行する者を監視する関所を兼ねた城として利用された。 1579年(天正7)9月18日、徳川家康は遠江から大井川を渡って駿河へ侵入し、持舟城の出城であった遠目砦を攻略すると、続いて持舟城を攻めた。その際正重以下30名が討死、持舟城は落城した。この時家康は一度引き上げた為、武田勝頼は持舟城を修築し、朝比奈氏秀(信置)を在番させた。 1582年(天正10)2月23日、再び徳川軍に攻められると、翌月17日氏秀は持舟城を開城し、久能山城に敗走した。間も無く持舟城は廃城になったものと考えられる。 |
城址から東方面 | 本丸に立つ城址碑 | 堀切脇にある穴・井戸跡か |